カテゴリー
未分類

日本食と私の変化

嫁は、出産後の入院中、病院の食事を食べてから、日本食が好きになりました。納豆も大好きです。驚きです。

そして、私にも変化があります。私は、嫁と子供に癒されている日々を送るうちに、ラオス人嫁の濃い顔が、とても好きになりました。薄いと言われる日本人の顔が、物足りないと感じるほどに、ラオス人の濃い顔が好きになりました。

カテゴリー
未分類

嫁の出産と子供

嫁が出産をして女の子が生まれました。

私は、出産に立ち会いましたが、陣痛の苦しみを真近で見て、その大変さに驚きました。命がけです。

母子ともに、無事でしたが、赤ちゃんには黄疸が出て、赤ちゃんは入院になりました。

嫁は眠れぬ夜を過ごし、泣いていました。

光線治療で、子供の黄疸は治り、子供は退院となりました。

子供を持つ喜びは、私が想像していた以上でした。とても大きな喜びです。毎日がとても幸福です。子供に会いたいので、仕事が終わると早く家に帰りたくなります。

カテゴリー
未分類

嫁の妊娠

嫁は妊娠してからずっと、体に悪い食べ物は口にしない。ビールなども、一切飲まない。子供がとても大切な様子です。夫としては、とても頼もしい嫁です。

炊事、洗濯、掃除以外の仕事は、ほとんどしない。しかし、父や私の仕事を手伝わなくなってから、私たちに対する信頼が大きくなりました。特に、ラオスの実家に必要な車を買うと、父が、嫁に約束してから、嫁の不満は無くなりました。

以前の嫁には、私たちに対する不満がありました。私たちの仕事をいくら手伝ったとしても、嫁の自由になるお金は、嫁に与えられません。嫁は、一人でどこかに、アルバイトしに行くことも禁じられています。家族想いの嫁は、実家に必要な車を買いたいという気持ちを抑えることが出来ません。
家族のために、嫁は、日本の私のところに嫁いできました。
嫁が一人でどこかにアルバイトをしに行くことを禁じる理由は、本来ありません。

しかしながら、父が、1~2年後には、車を買うと、嫁に約束したことで、この問題は決着しました。嫁としても、不慣れなところへ一人でアルバイトしにいく必要が無くなりました。本来は、この約束は、私が、嫁と早急にすべきでした。私は、優柔不断であったことを反省しています。

妊娠してから、嫁は、仕事をしなくても、私たちが不満を持つことは無いことを、はっきりと認識しました。そのことで、私たちと嫁との絆は、とても強くなったと、私は思います。

カテゴリー
未分類

嫁が見た夢

数日前のことです。嫁が、昨日私はとても悲しい夢を見たと言います。

夢とはいえ、私は心配になり、どんな夢だったのか聞きました。

すると、嫁は言います。「夫に彼女がいます。とても悲しい。」と言うのです。

私は、驚いてしまいました。もちろん、私に彼女がいるはずもありません。私は、強く否定しました。しかし、謝りはしません。実際に、私には、彼女がいるはずがありません。嫁が思うほど、亭主はもてない。という言葉があてはまります。

そんなことあるわけないのに、と思い、笑ってしまいました。

カテゴリー
未分類

歳の差婚について

私と嫁には、28歳の年齢差があります。歳の差婚について、嫁が可哀そうだという気持ちも、私には、ありますが、嫁がそれを受け入れてくれた以上、深く考えないようにしています。

現状で自分ができることは、仕事を普通にして、生活費を入れるということだけですので、私は、夫としての義務を果たすことだけを考えています。

そのうち、嫁からほっぽり出されると、心配をしてくれる人もいますが、ほっぽり出されたとしても、そのときまで、幸福であれば、それで良いと私は、思っています。

カテゴリー
未分類

言葉の問題

私と、結婚することが決まってから、嫁は、ラオスにいる間も、日本語の勉強を独学でしていました。来日してからも、独学をしています。私と一緒に、書店で、漢字の本を買いました。嫁は、日本語学校へ行くことを望んでいますが、私は、日本語学校へ行くことには、反対しています。日本語を話す環境があれば、学校へ行く必要は無いと思っています。

今までのところ、言葉が通じなくて不便だと思うことはありません。私がそう感じるのは、一人で行動するときの寂しさと比べてしまうからかもしれませんが、なんとか、言葉は通じます。

私の両親と嫁と私で、夕飯を食べますが、性格が明るい嫁は冗談が好きなので、毎日、話が盛り上がります。

カテゴリー
未分類

サメット島へ

私と嫁は、タイのサメット島へ旅行に行きました。

まず、成田空港から、エアアジア航空で、ドンムアン空港へ行きます。運賃は、往復で1人35,000円くらいです。1日目は、アマリドンムアンエアポートホテルに宿泊しました。

2日目の翌朝、ドンムアン空港の6番出口から、モーチットバスステーションへ行きます。モーチットバスステーションから、ロトゥで、バンペーへ行き、船でサメット島まで行きます。この日は、サイケーオビーチ付近にあるホテルに宿泊しました。

この日、私は、国外運転免許証を持っていたので、嫁にバイクでのサメット島一周を提案しました。しかし、前回とは正反対に、嫁から危ないと断られました。何が一番良いプランかは、一概に言えないということだと思います。

3日目は、ウォンドゥアンビーチへ移動しました。そして、ウォンドゥアンリゾートというホテルに宿泊しました。ここは、宿泊費が1日16,000円くらいでした。

このビーチでカヤックに乗りました。しかし、カヤックで日焼けして、嫁の機嫌がとても悪くなりました。私は、嫁が日焼けするのをひどく嫌っていることを理解していませんでした。

4日目は、アオパイビーチに移動しました。ここのサメットヴィラリゾートへ宿泊しました。嫁は、1人で、ビーチで泳いでいました。今回の旅行では、ここが一番居心地が良かったです。レストランの食事も、朝食のビュッフェも美味しかったです。宿泊費は1日10,000円くらいでした。

夜は、エアコンで冷房をかけたまま、寝ました。私と、嫁とでは、快適さを感じる温度が違います。エアコンをかけなくても、嫁には、ちょうど良い温度でした。しかし、嫁は、私が暑いだろうと思い、エアコンをかけたまま、寒い中、寝ていました。とても優しい嫁です。私は、すぐに、エアコンを消しました。

5日目は、アオパカランビーチにあるニマノラディーリゾートホテルに宿泊しました。海と景色が綺麗でした。宿泊費は、1日7,000円くらいでした。

6日目は、ホテルから、スピードボートで、バンペー港へ向かい、バンペーから、ロトゥでバンコクへ向かいました。バンコクのエカマイでバスを降り、電車で、スラサック駅まで、行きました。駅前にあるモードサトーンホテルに宿泊しました。綺麗なホテルで朝食ビュッフェも美味しかったです。

7日目は、スラサック駅から、サパーンタクシン駅まで、電車で行き、サトーン駅から、船で、ノンタブリーへ行きました。ノンタブリーからは、タクシーでドンムアン空港へ行きました。

 その日の夜、ドンムアン空港を出発し、日本の成田空港へ戻りました。

カテゴリー
未分類

再びパタヤへ

私と嫁は、再び、パタヤへ旅行に行きました。

エアアジア航空で、タイのドンムアン空港へ行き、ドンムアン空港のフードコートMAGIC GARDENで、食事をします。空港の6番出口からA1バスに乗り、モーチット駅でおります。モーチット駅から、電車に乗り、ペチャブリ駅でおり、アバニアトリウムホテルというところで、宿泊しました。

バッグをホテルに置くと、私たちは、食事に外に出ました。私は、プロンポン駅まで、行こうとしましたが、嫁は、歩きは危ないと、言い、戻ることにしました。

戻る途中で、アバニアトリウムホテルの前にあるレストランRUENPETCH SUKIに入りました。ここで、私たちは、プーパッポンカレーを食べました。とても、カニの風味のたまごがとてもおいしかったです。しかし、油が強くて、私は、下痢になりました。

2日目の翌朝は、ホテルでビュッフェを食べました。インド料理のスペースが、かなりありました。嫁は、腹痛をおこしていたので、私は、一人で食べました。

その後、私たちは、タクシーに乗り、エカマイバスステーションへ向かいました。運賃は、350円くらいでした。

エカマイバスステーションから、ロトゥで、パタヤへ向かいました。2時間くらいで、パタヤへ到着して、私たちは、ロトゥをホテルの前で降りました。

ホテルは、前回と同じ、バブーナビーチフロントリビングホテルです。今回は、2階になりましたが、窓からの景色は、海からかなり近く感じました。やはり、船が海に浮かんでいて、にぎわい豊かな観光地です。

私たちは、セントラルマリーナへ行き、フードコートで、食事をしました。その後、近くの屋台で、また、ワニの肉などを食べました。

3日目は、ホテルをチェックアウトして、船でラン島へ向かいました。そして、船着き場の近くにあるホテル(ラレーナ リゾート バイ ザ シー コ ラン)に宿泊しました。

そこから、サマエビーチへ行き、泳ぎました。綺麗な海でした。夕食は、近くの屋台で、パッタイと、エビの焼いたものなどを買って食べました。ホテルは海の上にあって、快適でした。

4日目は、バブーナビーチフロントホテルで、私は熱を出して寝てしまいました。嫁が、薬を薬局で買ってきてくれて、看病してくれました。優しい嫁です。

5日目は、チェックアウトした後、ヒルトンホテル14階のエッジというレストランで、ビュッフェを食べました。海が見える景色の良いレストランです。何を食べてもおいしかったです。一人2,000円くらいでした。ヒルトンホテルという有名なホテルに泊まることは、贅沢で、私には出来ません。
しかし、ヒルトンホテルの中にあるレストランでビュッフェを食べることは出来ました。それは、楽しい経験でした。

私たちは、レストランを出て、パタヤバスステーションから、モーチットへ向かいました。モーチットで、バスを降り、タクシーでドンムアン空港へ行きました。ドンムアン空港のすぐ隣にあるアマリドンムアンエアポートホテルに宿泊しました。

6日目は、エアアジアで、バンコクのドンムアン空港から日本の成田空港へ帰ってきました。とても楽しい旅行です。

カテゴリー
未分類

タイ経由で日本へ

翌朝、朝から、飛行機のチケットを手に入れるために、ビエンチャンのワットタイ国際空港へ行きました。幸運にも、その日の夕方出発の便が、手に入りました。タイ国際航空で、タイのバンコクにあるスワンナプーム国際空港経由便です。この時期にしては、とても、安くて、二人で9万円くらいでした。クレジットカードで買うことができました。

私は、安心して、宿泊先のホテルに戻り、荷物をまとめて、チェックアウトしました。近くのレストランでご飯を食べ、タラートサオの市場へ行き、マッサージ店へ行きました。嫁は近くの理髪店へ入りました。私は、理髪店の中に入り、待たせて貰いました。嫁の行きつけの理髪店のようです。

私は、ビエンチャンがとても好きです。いつか、もっと長い時間滞在したい街です。

私たちは、ワットタイ国際空港へ向かいました。飛行機の待ち時間で、私たちは、ワットタイ国際空港の3階にあるレストランWEST COASTに入り、ビュッフェを食べました。私は、ビールを飲みました。ビールまで入れて、一人1,500円くらいです。

私たちは、タイ航空で、タイのスワンナプーム国際航空で、飛行機を乗り継ぎ、日本の成田空港へ帰ってきました。

カテゴリー
未分類

ベトナムで入国拒否

翌朝、日本へ帰るべく、朝、実家を出ました。近くのバス停まで、ソンテウに乗ります。バス停では、私は、予定通り、ベトナム経由で帰るか、予定変更で、ビエンチャンへ向かうか、まだ少し迷っていましたが、ベトナム経由を選択しました。

ベトナム国境でイミグレーションへ立ち寄ったとき、日本人は、ベトナム出国後30日間は、ベトナムへ入国できないと、言われます。隣国であるラオス人なら問題なく入国できますが、日本人は入国できません。

私は、嫁への説明が不十分だったことを、ここで知ります。言葉の壁があり、細かいことだと、説明ができません。そして、お互いに相手の性格も十分に理解していません。大らかなラオス人と、神経が細かくて、十分な調査を事前にしておきたい日本人の性格の違いです。嫁には、入国できないはずは無いだろうという先入観があります。そういう先入観による勘違いの起きやすい状況で、言葉も十分に通じません。私は、嫁に対して、もっと細かく状況を丁寧に説明すべきでした。
もう一つの問題は、誰かに聞いたとしても、正確な答えは返ってこないということです。特に、ベトナムでは、自分のビジネスに都合の良い無責任な答えしか期待できません。

今思うと、私がとるべき最善の方法は、嫁の電話を借りて、自分で、ラオスにある日本大使館へ電話をすることが、最善だったと思います。最低限度、嫁に細かく話を説明して、ラオスのイミグレーションに電話することでも良かったかもしれません。

嫁は、私に何度も、ごめんな、と言って謝りました。

私たちは、なんとか、ベトナムのイミグレーションからビエンチャン行きのバスに乗せてもらい、ビエンチャンへ行きました。これから乗る飛行機を予約しなければなりません。帰る日取りは遅れ、現金の手持ちも少なかったので、チケットが買えるかどうかも分かりません。

癇癪持ちの私は、このとき、嫁と出会ってから、初めて癇癪を爆発させてしまいました。私は、ハノイに到着してから何度も帰りの飛行機のチケットを買うことを試みていました。それを見ていた嫁は、ベトナムで入国が拒否される可能性が高いことを知って、しかるべきではないかと思ったからです。

ホテルにチェックインすると、嫁は泣き出しました。そして、嫁は、「あなたは、日本人と結婚しなさい」と、私に言いました。そして、嫁は、「私は、ラオス人と結婚する。私と結婚したがっているラオス人はいる。」とも、私に言いました。私は、嫁にひざまずき、許しを請いました。嫁は、泣きながら、「大丈夫」と言ってくれました。私は、この世で最も見たくない嫁の涙を、見てしまいました。しかし、最初の離婚の危機は去りました。
この出来事で、私は初心に帰ることが出来ました。
嫁の言ったことは、この状況の解決に極めて的確でした。
年の差結婚であり、私には、嫁しか、いませんから、私は、嫁と小さなことで、喧嘩をするべきではありません。

そして、今回の件では、隠された問題があることに、私は気がつきました。それは、嫁とのお見合いのとき、私が、年収を少しふかして、嫁に申告したという問題です。私は、嫁にどうしても結婚してもらいたくて、自分の年収を実際よりもふかしてしまいました。

嫁は、現在、夫の収入が少ないという現実を知っています。そして、その現実との妥協をし始めていますが、私は、自分の罪深い所業を、生涯忘れません。今まで、ささいないざこざが数回ありましたが、すべて、原因は、この問題です。つまり、私が悪いのです。

このときから、私は、自分のケチなところを改めるようにしました。私は、お見合いのとき、自分が申告した年収を実現しなければなりません。

このときから、今までのところ、嫁との間に、いざこざがありません。