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ベトナムで入国拒否

翌朝、日本へ帰るべく、朝、実家を出ました。近くのバス停まで、ソンテウに乗ります。バス停では、私は、予定通り、ベトナム経由で帰るか、予定変更で、ビエンチャンへ向かうか、まだ少し迷っていましたが、ベトナム経由を選択しました。

ベトナム国境でイミグレーションへ立ち寄ったとき、日本人は、ベトナム出国後30日間は、ベトナムへ入国できないと、言われます。隣国であるラオス人なら問題なく入国できますが、日本人は入国できません。

私は、嫁への説明が不十分だったことを、ここで知ります。言葉の壁があり、細かいことだと、説明ができません。そして、お互いに相手の性格も十分に理解していません。大らかなラオス人と、神経が細かくて、十分な調査を事前にしておきたい日本人の性格の違いです。嫁には、入国できないはずは無いだろうという先入観があります。そういう先入観による勘違いの起きやすい状況で、言葉も十分に通じません。私は、嫁に対して、もっと細かく状況を丁寧に説明すべきでした。
もう一つの問題は、誰かに聞いたとしても、正確な答えは返ってこないということです。特に、ベトナムでは、自分のビジネスに都合の良い無責任な答えしか期待できません。

今思うと、私がとるべき最善の方法は、嫁の電話を借りて、自分で、ラオスにある日本大使館へ電話をすることが、最善だったと思います。最低限度、嫁に細かく話を説明して、ラオスのイミグレーションに電話することでも良かったかもしれません。

嫁は、私に何度も、ごめんな、と言って謝りました。

私たちは、なんとか、ベトナムのイミグレーションからビエンチャン行きのバスに乗せてもらい、ビエンチャンへ行きました。これから乗る飛行機を予約しなければなりません。帰る日取りは遅れ、現金の手持ちも少なかったので、チケットが買えるかどうかも分かりません。

癇癪持ちの私は、このとき、嫁と出会ってから、初めて癇癪を爆発させてしまいました。私は、ハノイに到着してから何度も帰りの飛行機のチケットを買うことを試みていました。それを見ていた嫁は、ベトナムで入国が拒否される可能性が高いことを知って、しかるべきではないかと思ったからです。

ホテルにチェックインすると、嫁は泣き出しました。そして、嫁は、「あなたは、日本人と結婚しなさい」と、私に言いました。そして、嫁は、「私は、ラオス人と結婚する。私と結婚したがっているラオス人はいる。」とも、私に言いました。私は、嫁にひざまずき、許しを請いました。嫁は、泣きながら、「大丈夫」と言ってくれました。私は、この世で最も見たくない嫁の涙を、見てしまいました。しかし、最初の離婚の危機は去りました。
この出来事で、私は初心に帰ることが出来ました。
嫁の言ったことは、この状況の解決に極めて的確でした。
年の差結婚であり、私には、嫁しか、いませんから、私は、嫁と小さなことで、喧嘩をするべきではありません。

そして、今回の件では、隠された問題があることに、私は気がつきました。それは、嫁とのお見合いのとき、私が、年収を少しふかして、嫁に申告したという問題です。私は、嫁にどうしても結婚してもらいたくて、自分の年収を実際よりもふかしてしまいました。

嫁は、現在、夫の収入が少ないという現実を知っています。そして、その現実との妥協をし始めていますが、私は、自分の罪深い所業を、生涯忘れません。今まで、ささいないざこざが数回ありましたが、すべて、原因は、この問題です。つまり、私が悪いのです。

このときから、私は、自分のケチなところを改めるようにしました。私は、お見合いのとき、自分が申告した年収を実現しなければなりません。

このときから、今までのところ、嫁との間に、いざこざがありません。

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